意外とおもしろい栃木県足利市の歴史について

栃木県って聞くと、「日光」ってイメージが強いですよね。それか避暑地になっている那須ですかね? アウトレットがある佐野もなかなかに有名ですし、陶芸で有名な益子も人気ですよね。

そんな栃木県の中でも、足利ってやっぱり地味な気がするんですよね。(地元の方、本当にすみません)足利のキャッチコピーは「素通り禁止♡足利」だったと思うんですが、それって裏を返せば素通りされやすい街だということですよね……。

というわけで、足利を素通りしないよう実は意外と面白い足利の歴史について、ちょっとだけご紹介したいと思います!


まずは足利といえば「足利学校」ですよね!
ここは日本最古の学校です。

日本最古といっても、それが何年前なのか、実のところ今もわかっていません! いつ、だれが、どんな目的で……、ということ全て謎です。その諸説の中でも有力なのが「平安時代の小野篁」と「室町時代の足利義兼」説です。この2つは時代が400年近く離れているので、諸説といっても振り幅がすごいですよね。

まあでも、平安時代の小野篁(おののたかむら)が建てたと言われたら、私みたいな歴史オタクは「すげーーー!」と喜んでしまうところです。年代にして800年頃です。

この小野篁は当時めちゃくちゃに頭が良くて、とにかく天才だと評判だった役人さんです。あまりに仕事ができるので、昼は朝廷で仕事をして、夜は閻魔大王の元で働いていたという伝説があるくらいです。京都の六道珍皇寺には、小野篁が夜な夜な冥府へ降りていったと言われる井戸もあるんですよ。

でも足利学校の創立の諸説の中で、最も有力なのが1100年頃に足利義兼(あしかがよしたか)が建てたというものです。この足利義兼は室町時代を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)の先祖であって、足利家の2代目になります。

じゃあ足利市は、室町幕府や足利尊氏と縁が深いのかと言われたらそうでもなく、足利尊氏の祖先と縁が深い土地というわけですね。

ちなみに室町時代におきた応仁の乱って、日本史が好きな人でも「なんのこっちゃ」と言いたいくらいごちゃごちゃしているんですが、一昨年出版されて、アメトークの「読書芸人」でも紹介された「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」という本がめちゃくちゃにわかりやすく、かつ面白いのでおすすめです。

応仁の乱は11年もだらだら戦争しておきながら、結局は兄弟喧嘩だったんですが、これってかなりやばいですよね。これがきっかけで戦国時代に突入するので、足利幕府って何だったんだ……? と言いたくなります。

とまあ、そういったわけで、だいたい足利学校は1100年頃に創立しました。約900年前になるので、とんでもなく古い学校です。その900年の間に、戦国時代があって、あれよあれよと覇者が変わり、江戸時代があって、明治維新を迎えて……と、まあいろいろなことがあったので、よくぞ現代まで残っているな? と思いますよね。

どんなに日本中で戦争していても「学問の灯を絶やしてはならない」と言われ続け、今も残されている学校です。足利市が教育の原点であって、学びの街と言われるのも、これが理由ですよ! 意外と(意外ではないですが)立派なんです……!

なんと1549年に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが「日本にはすごい学校がある!」と世界に紹介したのも、足利学校です。

というわけですが、少しくらい足利学校に興味を持ってくれたのなら、今はなぜか梅のライトアップがされているようなので、足利を素通りせず、ぜひ見学に行ってみてください。見学料は420円です!

ちなみに結婚式の前撮り撮影などでも使用される場所でもあるので、運が良ければ新郎新婦が観れるかもしれませんよ。